去年の12月に津波が猛威を振るった際に、私たちが最初に思いついたのは、世界中の多くの 人々と同様、「どんな手助けができるか?」と自分に問いかけることでした。しかし災害の規模 はとてつもなく大きく、お金を送るというだけでは、心もとないように思われました。 そこで私たちは、教育キネシオロジーとタッチフォーヘルスのインストラクターとしてのスキ ルが被災者の支援に大いに役立つと考え、助けを必要としている人々のもとへ行くことにしました。私たちが被災地に近いところにいることも、その考えを後押ししました。(ヘンリーはインドネシアのセマラング、リー・アンはシンガポール) 今年の五月に、私たちは、個別にあるいは共同で、インドネシアのメダンとバンダ・アチェに 4度にわたって出かけました。私たちの組織の役員であるモイラ・デンプシーも4度目のバン ダ・アチェへの旅に同行してくれました。モイラは、ブレインジムのインストラクターであり、物心両面で、多大なる支援と貢献をしてくれました。 最初に、私たちはトラウマの解消に重点を置いて活動することを決めました。津波が襲われて からの数週間は、医療支援、食料の確保、きれいな水と住居の提供に重点が置かれていましたので、私たちは、この間、各方面と連絡をとりながら、活動計画およびトラウマ解消のための「学習メニュー」を練っていきました。 私たちの目標は以下のとおりでした。 ●大勢の被災者を助け、津波についての恐怖やトラウマを解消する。 私たちが、以上の目的にかなうと考えた学習メニューは、PACE を含む8つのブレインジムの アクティビティと、グレイ・クレイグの「感情解放のテクニック(Emotinal Freedon Techique、以下 EFT と略)」などです。私たちは、インスピレーションにしたがって、スベトラナ・マスグトワ博士のトラウマ解消のワークも取り入れました。津波被害の直後に、リー・アンは、幸運にも、合衆国のエネルギー心理学会の創設者である、デビット・グルーダー博士に出会う機会を得ました。彼は、9.11 テロの被害者とその家族に EFT を用いて大きな成果を収めた方です。 アチェ・セパカット アチェ・セパカットの助けを借りて、私たちブレインジム・インストラクターは、それぞれ、 150人以上の難民、救援者、助産婦、心理学者や様々なボランティアの人々に、「学習メニュー」を教えました。参加者の中には、いまでもこの独りでできるトラウマ解消のテクニックを 120人以上の人々(現在も集計中)に広めて続けている人たちがいます。また、ある人たちは、僻地の漁村にまで、この感情解放のテクニックを伝えるために出かけていきました。 トラウマを抱えての生活 多くの人が今後のことを常に心配し、あるいは失ったもののことばかり考えていました。さら に深刻なケースでは、水や高所に対する恐怖症や不安、またはちょっとした物音にも極端におびえるという人たちもいました。 しかし、90%以上の割合で「学習メニュー」を学んだ人たちは、その日の夜から、落ち着いて眠れるようになったことが報告されました。また、参加者の100%が、不安が50~90%軽減しました。 支援活動の実際 ひとクラスを教えるのに、周りの状況や参加者数によって、約2時間から5時間くらいかかりました。私たちは、一度に10人から60人もの人たちを教えていましたが、可能であれば、学習効率が良いようにクラスを10人から20に留めるようにしました。こうしたクラスが助けになって、参加者は自分の恐怖やつらい経験を共有し、ストレスやトラウマの影響や、それらがどのように脳や体と関係しているのかを理解できるようになりました。 さらに、私たちは、ブレインジムの三次元の脳のモデルとトラウマとの関係を簡単に説明し、 それらを統合することが、自分の辛い経験を消化し、ストレスを手放す助けになることを伝えました。 ・個別セッション 成功事例 ・幻覚 今回の支援活動のパートナーであるヘンリーと私、リー・アンは、キキという少女にトラウマ解消のワークをしました。彼女は19歳から23歳くらいに見え、幻覚に囚われていました。彼女のトラウマがあまりにも強く、未だに津波に見舞われていると思い込んでいたのです。3 時間ほどのワークの後、彼女の意識はハッキリしてきました。後日訪ねてみると、彼女は日常生活に復帰できるようになり、過去のフラッシュバックに悩まされなくなったようでした。 ・麻痺 私、リー・アンは、50代から60代くらいの男性にトラウマ解消のワークをしました。彼は、助けを求めて10日以上も歩き続けたため、両足が20日たっても麻痺したままでした。1 時間ほど、ブレインジムの3次元のバランス調整(3DR)と動きの再教育を行った後、彼は足の感覚を90%以上取り戻しました。 ・心身症的な問題 いくつかの個別セッションで、ヘンリーは 75%の人が、怪我をしていないにも関わらず、膝の症状を訴えていることに気が付きました。多くの人が痛みを感じ、立ち上がったり座ったりすることが困難だったのです。医師も、治療を求めてキャンプへ来る人々の多くが、同じ問題を抱えていることに気が付きました。問題が心身症的なものだと思われても、医師には痛み止めの薬を与えることしかできませんでした。 さらに興味深いのは、ブレインボタンの予想外の効果でした。ブレインボタンを行った後、多 くの人たちはゲップが出ました。彼らは、津波の後、ストレスから胃にガスが溜まっていたのです。彼らは、笑い出しました。なぜなら、解放感を味わい、また、体のあるポイントに触るだけで、たちまちこの様な変化が起こることに驚いたからです。 ・高所恐怖症 イムロスという20代後半のお針子の女性は、高いところを怖がっていました。なぜなら、彼女は波にさらわれて、建物2階以上の高さにまで上げられてしまったからです。彼女は、それ以来、暗闇やほんのわずかな物音、そして幽霊などを恐れるようになっていました。45分のブレインジムと EFT のセッションの後、彼女の表情は、目に見えて明るく和やかになりました。彼女は、ガタガタするハシゴの上でも、手助けなしに上れるようになりました。 ・警官からの暴行によるトラウマ ヘンリーと私、リー・アンは、メダンの5歳の男の子とその家族にトラウマ解消のワークをしました。その子の父親は、友人の同僚でした。その子は、公園で警官に何度も蹴られ暴行を受けたことがありました。その子は、たまたま運悪く、そこに居合わせただけだったのです。 ペースに合わせる クラスにふさわしい静かな場所を見つけることさえ、時には困難でした。私たちは、草の上に 大きなカーペットを敷いてクラスをしたこともありますし、寝室として使われているテントを利用したり、たまたま空いていたテーブルを囲むこともありました。 「学習メニュー」の内容 2006年度報告:再びバンダ・アチェへ、 アチェにて 空港からバンダ・アチェへ車で向かう途中、いたるところで復興の機運が高まっているのを見かけるのには、とても勇気づけられました。瓦礫の山や水浸しの場所は片づけられ、あちらこちらで建築作業が行われていました。倒壊した学校も建て直されていました。人々は、生活の物理的な基盤を再建しつつありました。活気のある様子に、状況が上向きつつあるのを感じました。 YUMとの活動で、ヘンリーと私は、アチェにブレインジム・インストラクターを育てるという長期的な目標が、また一歩実現に近づいたのを感じました。現場で、親たちや心理学者たちの話を聞くと、YUMとその関係者が、地域のニーズにあったサポートをもっと必要としていることがわかりました。 不幸にも、この地域には、資源が乏しく、また、津波の危険がさった今となっては、家庭内暴力に、より多くの関心が集まっていました。実際に、ある心理学者が、女の子を連れてきたのですが、彼女は父親の虐待によって半ば麻痺状態になっていました。家庭内暴力の領域については、さらなる支援が必要であろうということしか私には言えません。なぜなら、アチェの人々は、長い間、過酷で暴力的な環境のなかで生活しながら、自活を目指して奮闘していたからです。地元 の学校を訪ねてみても、教師たちから報告されたのは、子供たちの間に、多動性や攻撃性が高まっていることでした。こうしたことは、アチェに対する国際的な関心が薄れていく一方で、いまだに解決されないトラウマが残っていることを暗に示しています。トラウマ解消という意味では、まだやるべきことがたくさんあるのです。 私たちは、トラウマ解消のための通常のクラスよりも、私のブレインジム一日セミナーを現場にあうようアレンジして教えることに決めました。これによって、YUM の関係者は、トラウマ解消 のワークの下地となるテクニックに慣れ親しむことができます。コースの内容は、ブレインジム の脳の三次元モデル、支援を必要とする子供たちへの作用、ブレインジムのアクティビティのうち14種類について、詳しく理解することができるようにしました。これに参加すれば、役に立つブレインジムのツールが増えると同時に、次回アチェで開催する予定の、ブレインジム101認定クラスへの下準備にもなるのです。 ジャカルタにて |